きっかけは大菅小百合選手でした。
それまでは、スポーツの取材もその他多くのジャンルの一部分でしかありませんでした。それが、2001年の秋、ソルトレークシティ冬季五輪の事前取材のため、初めて訪れたスピードスケートのレース会場で大菅選手の姿を見た時に、もうその魅力の虜になっていました。ちょうど大菅選手がブレイクした時でした。それがきっかけで、スポーツ取材にのめり込み、ここまで走り続けてきました。
オリンピックの事前取材で同行した、今では私のカメラの先生である酒井高夫氏が、「そんなに好きなら、追いかけろ」と言ってくれました。そして、チケットを自分で買って、ソルトレークシティの会場まで取材に行きました。その時は、みなさんもご存知の通り、大菅選手にとっては非常に残念な結果に終わりましたが、それが逆に私の心にも火をつけました。次のトリノ冬季五輪での彼女のリベンジを、必ず自分が取材しようと。
思えば、カメラを始めたきっかけも大菅選手です。
そうして大菅選手を追いかけているうちに、多くの出会いがありました。彼女の所属する三協精機スケート部の今村俊明監督、そしてその他の選手、コーチ、サポートする社員の方たち。彼女を追いかけているうちに、スピードスケートそのものの取材が楽しくなり、また、偶然、彼女が野球界で言われる松坂世代ということもあり、それ以前から仕事をさせてもらっていた西武ライオンズの方々の伝手を使い、松坂投手と大菅選手との対談も実現させることができました。
それから、現在福岡ダイエーの和田投手をはじめとする、松坂世代の野球選手とも、取材を通して多く接することができました。
スケートに関しては、現在私は、三協精機スケート部の専属に近い形で仕事をさせてもらってますが、それも今村俊明監督やその他のスタッフの方々誰もが、いつも非常に親切に接して頂けること。そして、大菅選手の実妹である淳子選手、加藤条治選手、吉井小百合選手と、次々に素晴らしい選手が入団し、最強のスプリント・チームへと変貌する姿をこの目で見守ってこれることができたことが、非常に大きいと思っています。
2004年1月、私は単身ニューヨークへとやって来ました。それは、選手たちが努力を重ね、レースで実績を積み、オリンピック代表という栄光を勝ち取るために戦っているように、自分もこのままじゃいけない、ライターとして、カメラマンとしてもっと上のステージに行かなければという強い思いに駆られたからです。
偶然にも、2004年から西武ライオンズの松井稼頭央選手がニューヨーク・メッツに入団しました。その時に、前出の私のカメラの先生でもあり、西武ライオンズ・オフィシャル・カメラマンでもある酒井高夫氏の紹介で、産経新聞社の松井稼頭央担当のカメラマンとしての仕事も頂けました。
2005年も私はニューヨークを拠点に、仕事をして行きます。そして、選手たちに負けないよう、自分もより上を目指して努力をして行こうと思います。
思えば、2004年は、松井稼頭央選手とともにメジャー挑戦という気持ちで仕事をしてきました。この1年で、自分がどれだけメジャーに近づけたかわかりませんが、2005年秋はいよいよ冬のオリンピック・シーズンとなります。選手たちと同じように、マスコミも限られた人間しかオリンピックという大舞台を取材することができません。だから、今、自分が選んだ道を精一杯の力で走り続けるしかないのです。
私の道は、まだまだ果てしなく続いていますが、この場を借りて、大菅小百合選手、大菅淳子選手、加藤条治選手、吉井小百合選手、今村俊明監督、カメラマンの酒井高夫氏、そして出会った方たちすべてのみなさんにお礼を申し上げたいと思います。
「出会えて、本当にありがとう」。
そして、これからもよろしくお願いします。
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